お年玉が欲しい。生きたご褒美として収入が得られる最高のシステムだった。以前、とあるWEBライターの方が、いい歳こいて父親にお年玉を強請っている記事を見て、いいな、と思った。お年玉は子供にあげるもので、私もあなたも永遠に父の子なのだ。
そうやって年始から現実逃避をしている。実際にお年玉を強請るわけではない。私もまたいい歳の大人だからだ。
いい歳の大人なので、今年も初詣に行った。赤羽八幡神社というところで、賽銭箱には百円も入れた。日本では年始から神頼みする文化があって、現金を投入しないと神様はお願いを聞いてくれないという。神様だってお金が欲しいのだ。そして手を叩き、ある朝目覚めたら突然何かしらの才能が開花していますように、とお願いしておいた。楽しみである。やはりそうやって現実逃避をしている。小さい神社だけど歴史が深いらしく、賑やかで、すれ違う人達はみんな晴れやかな表情をしていた。
そんなことをぼんやり思い出しながら書いていたら、現実逃避度チェックというサイトを見つけた。やろうと思って、思いとどまる。危なかった。そもそも現実逃避度チェックに興味を持つ人の現実逃避度はまあきついと思う。そして、三が日から現実逃避度チェックをするような人はその年を不幸で終始することだろう。根拠はないが、そんな気がする。
「戦わなきゃ、現実と」と言ったのは誰だっただろうか。現実は必ず私の前に立ちはだかり、誰も助けてくれない。ピンチのときにヒーローは駆けつけない。ヒーローとは自分自身なのだ。だから、戦わなければならない。現実と。年末に出しそびれた、穴のあいたゴミ袋(大)から溢れる何かと、私は戦わなければならないのだ。